2011年03月25日

―笑顔の為に、僕らが出来ること―


掲載するコラムを書き終えた直後に起きた、今回の東北地方太平洋沖地震。
締切ギリギリのタイミングまで悩み、自分が伝えたい事は何だろう、と、
ずっとずっと、考えていた。
考え続けていたら、とっくに夜は明け、また、夜を迎えようとしていた。

そして今、自分の心の内に最も近い表現をすべく、書いています。

当日、声を震わせ、電話をしてきた友達がたくさんいる。
現地の知り合いと連絡が取れず、どうしていいのかわからない、と泣きながら電話をしてきた友達もいる。

私もあの日から、色々と考えて、考えれば考えるほど、胸が痛み、
いろんなことが悲しすぎて、涙が止まらず、知り合いの無事を確認するまで、生きている心地さえしなかった。

寒くて、怖くて、長い夜を過ごした数え切れない多くの方の事を思うと、
本当に胸が苦しくて、やりきれない気持ちでいっぱいになる。

各メディア以外に、Twitterが情報源としてとても活用されていて、
私もそこから状況を把握していたりしたのだけど、
いろんなRT(「再つぶやき」の意味)を見ている中で、
PLAY for JAPAN.のハッシュタグ。

“日本のために祈る”

そこには、世界中の多くの人が日本へ祈りを捧げてくれている姿があった。
初めは恐怖で溢れかえっていたTLが、お互いがお互いを支えあい、励ましあい、協力し合っている事を知った。
なんて美しいのだろう、と思った。
皆で手を取り合い、力を分け合っている事実が、そこには確かにあった。

『泣いている場合じゃない。』
『今の自分に何が出来る?』

ふと周りを見ると、同じように胸を痛めながらも、
「胸を痛めているのはひとりじゃない。
ひとりじゃないから何かできるかもしれない。
まずは、自分達に出来る事をしよう!」と、
募金や、寄付など動いている仲間たちがいた。

現在、福岡県内の多くの場所に、募金箱が設置され、
食料や、衣類の寄付が出来る場所が設けられています。
自分の音楽で励ましているアーティストもいます。

賛否両論。
偽善者やキレイ事だという人もいます。
でも、何も行動せずじっとしているなんて出来ない。
自分の声を届けたい、届くと信じたい。
その気持ちが、何よりも大事だと思います。

そして今回の事で、出来る事の一つとして、
一生懸命働き、日本経済を復活させていくこと。
これもとても大事だと思います。
日本は支援する国から、支援される国になり、これからさらに経済成長しなければならない。
お金がなければ復興は出来ないからです。

しっかり現実を受け止め、自分に出来ること、届くべき人に届く事を信じましょう。

そして、決して忘れてはいけないこと。

“一生懸命に生きること。”

私は今、改めて自分の幸せを噛み締めています。
愛すべき人たちがいて、愛してくれる人たちがいることに。
眠りにつける場所があり、目が覚めると、隣には守るべきものがあることに。
それもまた、まぎれもない真実。充分すぎるほどありがたい日々。
今日という日は一度しかありません。

今日も大事な人を大切に出来ていますか?
愛していると伝えられていますか?

言葉というのは、本当にとても難しく、
他人に確実に全てを伝えるという事は、不可能かもしれない。
難しいという表現すら、簡単すぎる気がする位に。

でも、だからこそ、信じたい。
言葉は人の心を癒す力につながることもある事を。

今回は私が思うことを、伝えたい相手に伝わるようにと願いを込めて書いた文章です。
今、誰よりも考えるべきは、現地で必死で闘っている方たちのこと。
これが私の想い。
現状に対して、疑問に思うことも不安に思うこともある。
でもまずは、私に、できることから。

皆、同じ一つの空の下。
大切なのは諦めない心。

私の笑顔が、誰かを笑顔に出来るのなら、私はどんな事も惜しまない。

強く、優しく、自分の足で、今日をしっかり生き、共に闘いましょう。

色んな情報が飛び交っているからこそ、落ち着いて、冷静な判断を。

私は今日も心で、手を繋いでいます。
一人なんかじゃないよ。

2011年3月11日。
絶対に忘れない。
posted by maya at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

maya's colum vol.14

―「恋」と「愛」の違いって、なに?
私は今までに、幾度となく考えた事がある。
というより、誰かを好きになる度に、この感情は恋なのか、愛なの
か?と自分自身に問いかけ、時に涙し、胸を痛めながらも、答えを探してきた。
その為にどれだけの恋愛本を読破した事か・・・。(笑)
でも、考えれば考えるほど、その気持ちはわからず、深く深く手を
伸ばしてきた。
そして、ようやく見えてきた恋と愛の違い。―


過去にしてきた恋愛を振り返れば、それまでの恋愛は好きな人と仲良くなりたい気持ちや、
相手を知りたい気持ち、そして、自分だけを見て欲しい気持ちが先行していて、
基本的に自分本位だった様に思う。
好きな人に告白をしたけど振られてしまった時や、
相手に気持ちを伝えたのに自分の思いが伝わらなかったようなケースに、
決まってショックを受けていた。
相手に対して「〜してほしい」という願望や欲望に駆られて心が動いていた為か、
長続きしない恋愛を繰り返しては、その度に「どうして?何で分かってくれないの?」
と思っていた。
今思えばその感情さえも自分本位な考えだったのに・・・。

2009年。
ワクワクする気持ちや、ドキドキする感情とは違う“何か”が芽生えた恋愛を経験した。
それは、以前ここにも書いた、一目惚れした彼に対する自分の想いから感じた事。
そして、その“何か”とは、
「相手の全てを受け入れること」だった。
「彼が笑ってくれると嬉しい」
「支えになりたい」
「大切にしたい」
そんな感情が私の中にある大部分を占めている事に気付いたのだ。
こんな感情、初めてだった。
いつの間にか、彼の笑顔が見たくて、
彼に褒めてほしくて、イイオンナだと思ってもらいたくて、必死で努力している自分がいた。
相手への気持ちが、「〜してほしい」ではなく、
「〜してあげたい」へと変わり、相手の立場になって物事を考えるようになり、
徐々に私の心に芽生えた“何か”は確かなものへと、変わっていった。

“傍にいて、ただ守られるだけじゃなく、支えになりたい”と、心から思っていた。

自分本位の感情ではなく、相手に尽くす事、相手を愛している行為自体が私にとってかけがえのない大きな喜びになり、「こんなにも愛おしく思える人は他にはいない」と思った恋愛。

―愛。そして、恋。

漢字にして見てみると、「愛」は真ん中に「心」があるように、
「真心や誠実な思いを相手に伝えたい」と、自分の本心で動くもの と表している気がする。
そう考えると、よく「愛は見返りを求めない」と聞くけれど、
それは決して理屈ではなく、相手を愛すること は何か代償を求めて行う下心(恋)とは違い、
「相手を受け入れたい」
「幸せにしたい」というような与える側の“真心”から起きて いるように思う。
そして恋とは、相手の全てを受け入れるものでなく「相手に自分を 受け入れてもらいたい」
というような自分の願望を押し通す未知へのチャレンジ精神的なものを表している。
だからこそ、“ドキドキ”や“ワクワク”などのエキサイトした感情が入り混じり、
そし て代償として想いが届かなかった時、切なさや不安、悲愴感のよう な複雑な感情が交錯してしまうんじゃないか、と。

その点、愛は相手の全てを受け入れ、自分の心と相手の心を共有し 合う温かい精神の繋がり。
気配りや思いやり、自己犠牲などの献身的な感情が生まれるため、ワクワクやドキドキなどの感情は芽生えにくいけれど、安らぎや信頼感と言った心地よい安定感が心の中に芽生えてくると思うのだ。
そして、愛されている側も愛を受け取ることで心を満たしているので、
お互いに心を共有し合える感情じゃ
ないか、って。

その恋愛を通して私は感じた。
そして愛する幸せを知っているからこそ、こんなにも愛されたいと願うのだ、と。

愛は、その人のありのままの全てを受け入れること。
そして、そこには苦しみや窮屈さではなく、幸せがある事。
大きく言えば、愛とは、信じることでも、好意を寄せることでもなく、「許容」することかもしれない。
相手のすべてを受け入れる優しさや寛容さ。
そこに愛があるような気がする。
その人がどうであれ、どんなことをしようとも、その人のことを思える強さ。それが愛なのではないかと。

そして恋とは、キラキラとした一方的な思いで許されるものであり、
相手にこうあってほしい、と妄想することも自由。
その人が好き、と、その人の理想像を頭に浮かべながら、現実との差異に目を伏せながら、胸を弾ませる事が出来るもの。
だからこそ、片想いはときめく事が出来るし、楽しく感じる。

もちろんここに書いた思いは、あくまで私の価値観に過ぎない。
恋愛は考える行為ではなく、自分自身が体験して感じる取るもの。

恋と愛の定義は十人十色。
「好き」という言葉の奥に潜む心のざわめきは、人によって色が違うから。
これを読んでいるみなさんが恋愛に絶対的なマニュアルなど存在ない事を信じ、
随所に氾濫している情報洪水に溺れないで自分の目と心で体験して、恋愛を、
そして人生を謳歌してほしいと思います。

―人と人が出会い、恋と愛が交じり合う時、
その恋愛は、ほぼ確実なものとして、二人の間に実り、結ばれる。
恋をするだけでは、恋だけに終わってしまう。
大事なのは、しっかりと愛し、「恋愛」をすることである。
傷ついても何度も恋して。
恋をしなければ、誰も愛せないから―


恋と愛の違い。
そんなことを考えていた、夕暮れのバスルームで。
posted by maya at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

maya's colum vol.13

―忘れたくても忘れられない人がいますか?
もっと愛し合いたかったと後悔したことがありますか?
失って初めて気付く、存在の大きさに涙した夜がありますか?
今でも忘れられない人。
ずっとずっと大好きな人―


2007年12月20日。pm21:00。
連絡が途絶えがちだった友達が久しぶりに電話をくれたのは、
街を彩るイルミネーションがキラキラと輝く、クリスマスを目前にしている頃。
「彼氏と別れちゃった。」
電話越しの震える声に、慌てて会いに行った。
近くのcaféに入りココアを2つ注文したとこで友達が見え、
私は驚きを隠せなかった。
きっと、涙で腫れた目を、サングラスで隠しているのだろう。
以前より細く、痩せた体が別れの辛さを物語っていた。

「明日で別れて1ヶ月経つし、もう大丈夫かな?って思ってたんだけど、
今日タクシーに乗ったら運転手さ
んがすごくいい人でさ。
降りるときに触れた手が温かったことに超泣けてきちゃって。
今もまだ彼を失った現実を受け入れる事が出来てない自分に気付いたんだよね。
今さら気付いたってもう遅いことなんて分かってるけど、忘れられない。
忘れたくないよ・・・。」

愛する人との別れ。
後悔、自己嫌悪、自信喪失。

ずっと傍にいた人が、今はもう自分の中にはいない現実を受け止めようと努力しても、
残るのは絶望と喪失感。
気力がなくなって、何もかもが上手くいかなくなって、
自分という存在が小さくなって行く苦痛の日々。
そんな日々を過ごしていた友達を思うと、胸が痛くなった。

「私たちが上手くいってないこと、薄々感じてはいたんだけどね。
でも本当に別れるなんて思ってなかった。
彼が出て行ってから、自分に大丈夫だって言い聞かせてたけど、
やっぱりダメだったみたい。
気付いたら、ボロボロになって涙が止まらなくなってた。
20歳からの貴重な時間を彼と過ごして、
私を愛してくれる彼に救われていたはずなのに、
私はいつの間にか彼に多くを求めすぎてたんだよね。
いつの間にか一緒にいる事が当たり前になってて。
3年もの間一緒に過ごしたけど、結局私は彼のこと何も理解してあげれなかった。
最後まで甘えてしまっていたんだなぁって、1人になって思ったよ。
隣にいてくれるだけで幸せだってこと、忘れてしまってた。
今でも携帯が鳴る度に彼じゃないか、って。
どんなに想っても現実が変わらないの分かってる
けど、思い出さずにいられない。
あの頃に戻りたいよ・・・。」

こぼれ落ちた涙を隠すように顔を両手で覆い、彼女は泣いた。
失ってみて初めて気付く、存在の大きさ。
そして、大切な人を追い詰めてしまった自分が許せなかったんだと思う。
私は「うん」、「そうだね」と頷きながら、静かに友達を見つめていた。


何度も恋して、幾多の逆境を乗り越え、ようやく出逢えた人。
トキメキを感じていた頃の2人はきっと
「もう、この恋だけは離したくない、ずっとずっと一緒にいたい……。」
と互いに思えていたはずなのに。
目には見えないどこかでズレ始めた歯車が、絶対に考えたくなかった
「別れ」という結末へと、連れて行く。


―お願い。誰か、大丈夫って言って。
今の世界を受け入れたくない矛盾した自分がいるの。
大切なあの人が去っていた現実を。
だから、誰か。誰か私のココロを埋めて。―


そう思っては携帯を取り出し、寂しさを埋めてくれる人を探してしまう。
でも、そんなの、代わりに過ぎない。

だって、誰でもいい訳じゃない。
恋人と呼べるひとりの男がいい。
人生の中にその存在があるだけで、寂しさは解消されるから・・・。

「彼が家を出て行くときに言った言葉が今でも忘れられなくて・・・。
「ずっと一緒にいる約束、守れなくてごめんね。」って。ズルイでしょ?そんなの。
じゃあ一緒にいて、って、泣きついたけど、もう恋人同士には戻れないって。
何もかももう、分からない。
嫌いになれたらどんなに楽か・・・。」

大人になって色んな事が見えてきた。
世の中には色んな形の恋愛があって、色んな別れがあること。
「浮気」や「ケンカ」のように理由がある別れ。
そして、理由のない別れ。

その別れの辛さは、その恋に本気だった分だけの時間をかけて、
少しずつ少しずつ、落ち着きを取り戻す。
と、同時に、心もいつか良き思い出へと変わってくれる事を願えるようになる。

わたしは決心する覚悟で口を開いた。

「別れは本当にツライし簡単に記憶から消えるものじゃないと思う。
だからこそ、無理に忘れようとしなくてもいいんじゃない?
もう、永遠に彼以上の人には出逢えないと思っていてもいいと思うの。
きっといつか、そんな自分を丸ごと受け入れてくれる人がいるはずだよ。
人生の中で起こる全ての物事には意味があると思うし、
思い通りにならない事こそ、こうやって闘う意味が、
生きる意味があると思う。
大切なのは今、そしてこれからだよ。」

涙が零れそうだから、必死でこらえた。

私の横で、友達は声を出して泣き続けた。

優しさ?
ううん、それが私の本心。
幾ら時間が流れて環境が変わっても、
ずっと好きだった人との思い出がふとした瞬間脳裏を駆け巡り、
同時に胸の奥から切なさが込み上げてくるのも、
大好きだった笑顔が消えないでずっとずっと淡い映像で放映され続けるのも、当然。

だって、
本気で愛してたから。

もう終わった恋でも、
ずっと、ずっと忘れられない人がいてもいいと思う。

「・・・ありがとう。」

そう言って涙を拭う彼女の表情、今でも覚えてる。


コレを読んで、
もしも今、過去を乗り越えられずに、 辛い日々を過ごしている人がいるなら、伝えたい。

「過去があっての自分だから、
どんなに後悔してもあの時に戻れたらもっと大事に出来たと思わないでほしい。
あの時の失敗や辛い想いがあるからこそ、
これから先同じ事や、思いを繰り返さないように出来るのだから。
大切な誰かを傷つけた分、自分が傷ついてしまった分、
強くなって、これから出逢う人に優しくなれるはず。

ずっとずっと、忘れられなくてもいい。
どんなに苦しい思いを重ねてきても、明日は必ず来るから。
だからもう、愛し合った事を後悔しないで。」と。

私は『愛』という言葉が好き。
自分にとってそれが1番大事だし、伝えていきたいことだから。
もしも、私の人生の中で揺るがないものがあるならば、
それが愛であってほしいと願っている。

分かってるよ。
この世の中、美しい愛だけじゃないのも。
スキなんて言葉だけじゃ上手くいかないのも。

でも、だからこそ、それを理解した上で、
ロマンティックを追及して幸せに生きていきたいと思うんだ。

―アナタは自分の大切な人を
大事にできていますか?     
今傍で支えてくれる人を、
ココロから愛したいと願いますか?―
posted by maya at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。